【古道・霧立越】山に生きる人びと

こんにちは、BAMBOOSHOOTSスタッフの坂本です。

一年で最も日が短くなるこの季節。太陽の死と再生の節目に、共同体の安寧と豊穣を祈り、神々(自然)への感謝を伝える神事が日本各地で行われています。

今回訪れたのは宮崎県椎葉村(しいばそん)、九州の脊梁と称される1700m級の山々に囲まれた椎葉村は、日本三大秘境に数えられている。森林率96%を誇る村内にコンビニは一軒も無いし、信号機は一基だけ。だけど、ここには、何にも変え難い豊かさがあった。村内の26地区で継承されている神楽は、その大半が夜を徹して行われる夜神楽。私は椎葉の夜神楽がどうしても見たくて、一年前から宿を押さえて計画を立てていました。山深い椎葉へは公共交通機関を使っても車を借りてもアクセスは楽じゃない。「ならば歩いて山を越えよう」自然とそんな発想になり、かつて熊本県馬見原と宮崎県椎葉村を繋いでいた山岳古道、霧立越(きりたちごえ)を歩くことにしました。

※スーパー地形より引用
上図の黄緑色の線が今回歩いたGPSログ、青い線が過去のログで、左隣は今年5月に歩いた向霧立山地。この並列した二本の山塊が「九州脊梁山地」と呼ばれ、神楽を奉納する各集落はこの深い谷や尾根上の僅かな平地に点在しています。昭和初期、日向方面から耳川沿いに車道が作られるまで、この霧立越が椎葉へ行く為の一般道であり、馬に物資を運搬させる「駄賃付け」と呼ばれる交易も行われていました。今回の旅は、日本各地の祭りを訪ね回る好き者でクライマーの友人が同行してくれる。熊本で合流してから、路線バスとコミュニティバスを乗り継いで馬見原へ向かった。
一つ手前の弊立神宮でバスを降り、参拝をしてから目抜き通りへ。霧立越の起点であり、日向往還の宿場町でもあった馬見原は、白壁土蔵の街並みが残りなんとも風情があります。そんな馬見原の古い商人宿に一泊して、翌日から歩き始めることに。午前4時、宿を出立。さっきまで布団に包まれていた身体はおいそれと寒さに順応できず、オアシスの様に輝く自販機で缶コーヒーを買って、体内に閉じ込めた温度を頼りに30分ほど舗装路を進んだ。
登山口からは一気に600mの標高差を登り詰める急登で、落ち葉が堆積した斜面は登り辛く、どこが登山道だかも分かり難い。友人とルートを見極めながら神ノ前山を登り切り、黒峰に着いた頃にようやく明るくなった。ハイクアップしても気温が下がり、風が強まる一方でなかなか体温は上がらず。
標高1000m辺りから薄く雪が積もりはじめ、『Light5-Pocket Wide Pants』と『LONPEAK』だけの下半身は少々心許ない。吹き荒れる風と霧のおかげでみるみる霧氷が育ってゆき、気がつくと白銀の世界。
この山域は九州で最も積雪が多いエリアのようで、日本最南のスキー場があるのも納得。そんな五ヶ瀬スキー場の横を通って、霧立越最高峰の向坂山へとぐんぐん登って行く。お昼頃から青空が広がり、霧氷との美しいコントラストに心奪われる。歩きながらにボトルの水が凍ってしまう厳しい寒さ、しかし我々はご機嫌です。
1685mの向坂山からは椎葉村との村境となり、対面に伸びる向霧立山地がよく見える。スキー場の上からは祖母山系や阿蘇やくじゅうが望め、過去に歩いた九州の名山たちを見渡せる展望台のような場所。それにしても一面の草木が全て凍った圧倒的霧氷、名前の通り霧が出やすい霧立の環境が故でしょうか。10代で山を始めて冬季の山小屋にも勤めていたけれど、今まで見た霧氷の中では最大の規模かも。神楽に合わせて一年前から決めていた日程でこんな景色に出会えるとはなんたる僥倖…向坂山を越えれば降り基調で、なだらかで気持ちいい尾根の道。馬に荷を背負わせて歩いていた物資運搬道なだけに、縦走路とはいえとても歩きやすい。昭和初期まで椎葉の暮らしを支えたインフラであった霧立越、鎌倉時代は椎葉へ落ち延びた平家残党を討伐にきた那須大八郎が通り、近世では西南戦争で敗北を喫した西郷隆盛と薩軍がここを通って人吉へ逃げたと伝えられています。
村まで車道が敷かれてからの霧立越は、一時人々から忘れ去られ廃道同然となっていたようです。その後、地元有志の方々によって再整備が図られ、古来と変わらぬ姿で今もハイカーに歩かれている、歴史浪漫を感じる道。霧立の森は、日本のブナの分布としては南限に近く、かつ国内最大級の太平洋型ブナ林を形成しています。日本海型ブナ林より種の多様性に富むことが特徴の太平洋型ブナ林は、ヒメシャラやカエデが混ざった賑やかな植相。また、雨量が多く温暖なことで、堂々とした枝振りのブナやミズナラ、ツガやイチイの巨樹が多い。以前ブログで紹介した、祖母山から大崩山までの縦走で出会ったガイドさんが「九州脊梁の紅葉は西日本一だよ」と教えてくれたのを思い出す。もちろん新緑の時期も綺麗だろうし、石楠花や山芍薬の群生地だってある、ここはどの季節に訪れても美しい場所であろうことは想像に難くない。向霧立山地を歩いた時も思ったように、九州脊梁はとにかく山深い。視線の先はどこまでも山並みが続き、街どころか民家も全く見当たらない。平日だと他のハイカーにも会わないし、ソロで歩いていると山にとことん没入できる。ここまで山深く人の少ないエリアは、日高山脈とか会越国境とか南ア深南部とか紀伊山地とか…山岳大国日本でも僅かに限られるでしょう。そんな九州脊梁山地のど真ん中にある椎葉村ではどんな暮らしが営まれているのだろう。まだ来ること2回目のこの山域にすっかり惚れ込んでしまい、歩き終わるのがもったいないな~と思っていると今夜の宿に着いた。扇山山小屋、水場もトイレも薪ストーブもあり、避難小屋にあると嬉しいものが全て揃っている。おまけに小屋の中からの景色も良い明るい雰囲気の避難小屋。ありがたく使わせていただきます。暗くなる前に枝を拾い集めてストーブに火を起こす、火が安定したら暖を取りながら食事の時間。今回持ってきたのはTHE SMALL TWIST『八ヶ岳湧水サーモンココナッツリゾット』(※店頭限定販売)寒い夜は優しい旨みが口いっぱい広がるクリーム系のご飯が食べたくなるものです。
翌朝は日の出を見るためゆっくり起床。荷物は小屋に置いたまま10分ほど登って扇山の頂へ。眺望が良い山頂からは、美しく染まった向坂山のモルゲンロートと、歩いてきた霧立の尾根を見渡せる。流れゆく雲が朝日に照らされ、刻一刻と変わりゆく景色をいつまでも眺めていたい。しかし、寝起きでシャリシャリに凍った靴下へ無理やり足を通し、冷たい風が吹く山頂で日の出を待っていたら身体が冷え切ってしまい、太陽が昇りきると小走りで小屋へ戻った。戻りながら拾い集めた枝で再び火を起こし、沸いたお湯で熱いコーヒーを淹れた。小屋内を掃除してストーブの鎮火を確認したら下山を開始します。扇山登山口まで降りても、ここからまだ椎葉村の中心地まで16kmある。林道の一部は土砂崩れで車両通行止めとなっていて、事前に電話で問い合わせ、徒歩なら通り抜けられることを確認していましたが、想像していた以上に崩落箇所が多くて気は抜けない。度々災害級の大雨が降り、急峻な山に囲まれている椎葉では、村内の多くの道路が通行止めのままになっています。
登山口から4時間歩いて、椎葉村役場のある上椎葉に着いたら、山岳古道「霧立越」はこれにてゴールとなる。だけども旅の目的はまだこれからです。霧立越を歩き終えても、夜神楽が始まるまでは時間がある。まずは上椎葉の民俗芸能博物館で椎葉神楽の知識を深め、村の酒屋に寄り奉献するお酒を買った。(椎葉神楽を観覧する際は、焼酎2升以上または3~5千円程度包んで納めるのが礼儀。)
今宵、神楽が奉納される日添(ひぞえ)は上椎葉から20km離れた集落で、熊本との県境をなす向霧立山地の麓にある。日添の隣の追手納(おてのお)は、平家討伐に来た源氏の追手がそこで引き返したことが由来になっているそうで、追手納、日添、日当の3つの集落を含む向山地区は、山深い椎葉村の中で最も奥まったところに位置する。ちなみに、今回訪れた日添は標高850mに及ぶのですが、近畿以西の西日本で標高800mを越える集落は僅かに数えられる程しかありません。
追手納、日添、日当の3地区でそれぞれ継承される神楽は、高千穂神楽をルーツとする夜神楽で、共通する演目や神楽歌も多いのだとか。午後7時、日添神楽がついに始まった。祭壇には猪の頭が神饌として供えられ、そのシシ肉を皆で食す神人共食の儀から宴が始まる。そこからは、朝まで飲めや食えや歌えやの無礼講。神楽は「御神屋(みこうや)」と呼ばれる注連が張られた6畳程の舞所の中で、三十三演目が夜を徹して執り行われる。舞手以外は一歩たりとも御神屋に入ることはできず、「せり歌」という囃子を入れて場を盛り上げる。日添神楽は男性のみ舞手を担えるので、地区のお姉様方は朝までせり歌を歌う。その歌は古来より歌い受け継がれてきた節もあれば、舞手の批評をしながら即興で歌うことも。民謡の里でもある椎葉には歌の名手が沢山いて、太鼓や鉦の音と共に、名手たちのせり歌が夜も深まる日添の山に響き渡っていた。
椎葉の神楽には、山に生きる人びとの祈りが込められている。
柳田國男が椎葉で受け継がれる狩猟の作法や口伝をまとめた 「後狩詞記(のちのかりことばのき)」は、日本で初めて出版された民俗学の書物で、椎葉村は”民俗学発祥の地”とされています。椎葉は今でも狩猟に携わる方が多く、神楽には豊猟祈願が込められている。また、向山地区は全国で唯一焼畑農業を受け継ぐ地。縄文時代に端を発する焼畑農業は、山で作物を育てるための知恵が詰まった農法。日添の神楽には、大豆を撒いて畑の豊穣を祈るかのような演目もありました。焼畑や林業を営む椎葉は”モザイク林”という独自の景観を生み出していて、これは昨今、理想的な里山の在り方として提唱されるゾーニングと同様。椎葉の人たちは古来からずっと、山と上手く付き合い生きている。そんな矜持をこの神楽を通して感じた。午前3時、一升瓶の空き瓶があちこちに転がり、完全に酔いが回った一同。その空気を一瞬にして変えたのが太夫(たゆう)の一人神楽。神楽における太夫とは舞手の長であり、特定の家系しか太夫になることはできない。そしてこの一人神楽は一子相伝の舞。楽しそうに囃子を入れていた人たちも、この時ばかりは固唾を飲んで見届ける。40分ほど続くその舞は、見ている側も忘我の境地に入ってしまう、そんな共同体全体でのトランス状態に一種の神懸かりを見出してきたことが祭りの本質だと言えるでしょう。午前9時、日添の深い谷に日が射すころ、14時間に及んだ夜神楽は終わりを迎えた。一晩中舞い続けお酒を飲み続けた後は直会(なおらい)という慰労会。ここでも沢山お酒が出され、椎葉の人たちの酒豪っぷりには驚かされる。
山を歩き終えたその日に参加した夜神楽、正直ダウンして端っこで寝る気満々だったのですが、舞とせり歌のエネルギーに圧倒されて朝まで見続けることができた。「神楽が終われば1年が終わる」そう呟いてハレの日から日常へと戻りゆく椎葉の人びと。地域の人が1年の締めくくりに執り行うこの夜神楽を心待ちにしていること、大切に継承していってることが感じられ、椎葉の人たちを羨ましく思った。来年も椎葉に来ることを固く誓い、次は九州脊梁山地のどこを越えて椎葉へこようかと、地図を見ながら思案中です。
上椎葉に戻った我々は、一年前に予約していた鶴富屋敷に宿泊した。平家と源氏のロマンスの舞台として有名な鶴富屋敷では、椎葉産の食材をふんだんに使った料理に舌鼓を打ち、さすがに体力も限界で気絶するように寝た。
翌日は村内にある重伝建、十根川集落へ訪れた。平地が少ない椎葉では、石垣を築き斜面に沿って細長い平屋を並べ建てる。これは俗に「椎葉型」と呼ばれ、山深いこの場所ならではの造り。美しい景観の背景には、山に生きる人びとのたくましさが連綿と積み重なっている。ここ、根川の谷でも師走のある晩、祭囃子がこだまする。
〈終わりに〉
今回、霧立越を歩くのに使用したのはLITEAFの20Lモデル。LITEAFはどのモデル(小物に至るまで)も丁寧にシームテープが貼られていて、その仕事の細かさには感心します。ポップなグラフィックばかりに目がいきがちですが、作りの良さ、背負心地の良さ、軽さと、非常に完成度の高いザックです。個人的に、ザックのMYOG(自作)を始めるのに一番参考にしたのがLITEAFです。是非、その背負い心地と作りの良さを店頭で確かめてみてください。

ここまでご覧いただきありがとうございました。
坂本

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